1/72 アメリカ Bell P-63A“キングコブラ”戦闘機【EE72140】


お膝元のアメリカでも同年12月に日本との戦争が始まると、太平洋戦線を支える新型戦闘機としてイギリス空軍のキャンセル分を米陸軍航空隊で引き取って、日本軍が快進撃を続けるオーストラリアやニューギニア方面に送りました。
なお、イギリスで発注したのは対戦闘機戦闘を重視したのか、機首に37mm機関砲ではなく20mm機関砲を搭載したタイプで、これは米陸軍航空隊では『P-400』として採用、37mm砲搭載のP-39とは区別しています。


しかし太平洋戦線に送られたP-39は、日本軍機以上に中高度性能が悪く低空戦闘オンリーな戦闘機であり、その高度だと最高速の速さも生かしきれず、高度が低すぎてパワーダイブで急降下遁走もできません。
結果、低空でも運動性が良く、まだベテランパイロットの多かった日本軍の零戦や隼に追い回されていいようにあしらわれる事が多く、機体形状から『カツオブシ』と呼ばれ、すっかり侮られてしまいました。

まずドイツとの戦争が始まって戦闘機なら何でも欲しかったイギリスが発注、1941年9月から引渡しが開始されるも低空でしか使えない戦闘機なんかいらない! とわかりきったクレームを入れて、同じくドイツと戦争が始まったソ連へのレンドリース(援助物資)に回してしまいます。

1/72 アメリカ Bell P-63A“キングコブラ”戦闘機【EE72140】EE72140 アメリカ Bell P-63A

結果、太平洋戦線ではP-38やP-47が登場すると急速に姿を消していきますが、それまでは戦闘爆撃機として、そして爆弾を投下すればそのまま低空で日本軍の戦闘機に立ち向かい、犠牲を出しながらも戦い続けたのです。

ただここまで使いやすそうな、そしてテスト飛行では若干物足りなかったものの、熟成すれば高性能が見込めそうな飛行機だったのに、ベル社は「やっぱ排気タービン(ターボチャージャー)外して、低空用戦闘機にしない?」と言い出すではありませんか?!
後年になって推測された理由として、当時のベル社は新興メーカーらしく資金繰りに苦しんでおり、開発に手間取っている間に倒産するより熟成の容易な道で手堅く行こうとしたのでは、と言われています。

ところが、イギリスからレンドリースに回されて受領したソ連では全く違う評価を受けました。
ソ連がドイツと戦う東部戦線のメインは地上部隊同士の戦いで、両軍の飛行機の任務はほとんどが低空での地上支援で、中高度以上での戦闘など偵察機とそれに対する迎撃くらいしかありません。

さらに『モーターカノン』は機関砲が事故を起こした時、エンジンまで巻き込んで破損させることがありますが、XP-39の形ならエンジンに影響を及ぼしません。まあエンジンからプロペラまでの延長軸やギアボックスがどうなるかは知りませんが。


アメリカ Bell P-6C `キングコブラ`戦闘機 (プラモデル)

こうして1939年4月に初飛行した試作戦闘機XP-39はなかなか野心的というか斬新的というか、奇抜一歩手前の飛行機でした。

1/72 アメリカ Bell P-63C“キングコブラ”戦闘機【EE72141】

創業早々、ボーイングが開発中の長距離爆撃機(後のB-17)を護衛する長距離双発多座戦闘機として発注されたYFM-1『エアラクーダ』が奇抜な外見を裏切らない性能で不採用になりますが、ベル社も軍もそこはある意味想定内。
飛ぶ前からYFM-1がモノになりそうも無いのはある程度わかっていたのか、「じゃあ今度は高高度迎撃戦闘機を作ってみない?」と陸軍にオファーをかけられて開発したのが、P-39『エアラコブラ』です。

1/144 ワールドフェイマスエアクラフトシリーズ,アメリカ陸軍戦闘機 キングコブラ,マイクロエース,010 のネット通販カタログ.

結果、イギリスからのレンドリース(もちろん最初は20mm機関砲装備型)のみならず、本来のP-39を送ってくれ大至急! という声に応えたアメリカからP-39のほとんどはソ連に送られ、やはり低空を得意とするソ連製戦闘機やシュツルモビーク(襲撃機)とともに大活躍したのでした。

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同社の創業は第2次世界大戦間近の1935年とかなり後発で、その頃にはダグラスやボーイング、ロッキードなど名だたる大メーカーが十分実用的な飛行機を量産していたので、ベルのような新興メーカーはある意味で斬新な飛行機を作って、軍など顧客の目を引く必要があります。

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こちらはアメリカ陸軍戦闘機です。P-39エアラコブラの後続機として開発されました。
1942頃から大戦末期に掛けて3000機が生産されましたが、ソ連やフランスに輸出された方が多いです。
余り見ないので製作してみました。

簡易インジェクションキットでかなり古いキットで、
パーツの写真を日誌にも書いていますが、バリも多く成形も曖昧でした。
最初にパーツの精度を上げることから始めました。コックピットは出来上がるとまあまあといったところです。

シルバー塗装にしたかったので、傷取りなどの下地処理に時間を掛けています。
ディオラマは40×30㎝のボードです。パイロットが出発前に何やら会話をしている平和なシーンを再現しています。内容は皆さんで想像してください。フィギュアはモノグラムのキットを製作した時に使わなかったものを流用しました。
戦後、フランスで使用された機体なので綺麗にしています。パネルの違いも写真で分からないので塗り分けはしていないです。おフランスなのでシトロエンを置いてみました。
何とか外ロケをしましたが、これからの時期は寒いですね。

折込図面: 第2次大戦花形戦闘機続編(2): ベル P-63 キングコブラ 付き

現在、航空機分野における『ベル』といえば、シコルスキーと並んで世界中でヘリコプターを売りまくるアメリカのベストセラーメーカーとして名高いのですが、かつては戦闘機や実験機などで斬新な飛行機を得意としていました。
世界で初めて水平飛行で音速突破したロケット実験機『X-1』や、第2次世界大戦の敗戦時に未完成だったナチスドイツの『メッサーシュミットP.1011』を元にした世界初の可変後退翼実験機『X-5』もベル・エアクラフト社の作品です。

アオシマ 1/72 アメリカ陸軍戦闘機 キングコブラ 310 淡い

ちなみに、アメリカ陸軍航空隊では当初凡庸な性能だったP-47『サンダーボルト』やP-51『ムスタング』をメーカーに熟成させて傑作機に発展させていますが、量産実績を上げて自信のついたベル社にもP-39の発展型を発注しました。
すなわち本来の高高度性能を取り戻すべくエンジンを更新するとともに各部設計を全面的にリファインし、中高度以上の性能はもちろん各性能を向上させたP-63『キングコブラ』です。

「コブラ」戦闘機パイロット、防衛展示会を歓迎して飛行性能を公開

日本で戦記などに触れていると出てくる傑作機といえば第2次世界大戦の日本軍戦闘機、それを蹴散らした米軍戦闘機、なかなか落ちない米軍爆撃機などが有名どころですが、傑作機扱いどころか凡機扱いされていても、世界的には傑作機という飛行機もあるのです。今回は日本軍から『カツオブシ』と侮られたので有名なベルP-39エアラコブラと、その発展型P-63キングコブラ

【SD紹介】 軽戦闘機P-63A キングコブラSDキャラモーション・攻撃#アシュア.

ただ、P-63はハナから出来がいいのがわかっていたのか試作機が初飛行する前の1942年9月には採用していましたが、前述の傑作戦闘機が登場していたので米陸軍航空隊では必要性が無く、演習弾が命中するとプロペラスピナの先端がピカピカ光る有人標的機『RP-63ピンボール』に使われたのみ。
他はやっぱりソ連にほとんどが送られ、ドイツ軍を蹴散らしてナチスドイツを降伏させた後は、対日戦にも使われて満州や朝鮮半島への空襲でP-39と共に使われました。

【戦闘機】『ベル P-63 キングコブラ』レンドリースされて活躍

テストパイロットによる評価は悪くなく、空戦性能はP-51やP-47と同程度だったらしいのですが、低速で上昇力が悪いとも評価されました。 致命的だったのは航続距離が短いことで、米陸軍はP-63を戦闘には不適な機材と判断し、一部を国内の練習部隊に配備した他は、ほとんどがソ連へのレンドリース機として輸出されました。 第二次世界大戦終了後には、P-63はフランス政府に供与され、インドシナ紛争で対地攻撃に投入されました。 スピットファイアーに負けず劣らず活躍しましたが、予備部品の入手難からその期間は短いもので、1950年にはF6Fヘルキャットに、1951年にはベアキャットに、その席を譲り渡しました。

P-63 キングコブラは、アメリカ合衆国のベル社が開発し、第二次世界大戦中期にアメリカ陸軍航空軍等で使用された単発単座レシプロ戦闘機。

P-51やF4Uなど戦後も長く使われたレシプロ戦闘機と異なりP-39もP-63も1950年代早々には一部の実験用途や標的機を除いて現役を退き、一部の酔狂なマニアがレーサーに転用、1990年に最後のP-63改造レーサーが墜落するまで飛び続けたのが最後となりました。