マーキュリー・モントレークーペだそうです。何とも旧いチョイスですが ..
.
(3)<コメット> (米・マーキュリー)1960~
1903年に創立されたフォード・モーター社のラインアップは1960年時点では上から「リンカーン」「マーキュリー」「フォード」となっていた。創立者のヘンリー・フォードは頑固に実用一点張りでT型を造り続けて来たが、1922年息子のエドセルの意見を入れて高級車「リンカーン」を買収し、高級車と大衆車の2本立てとなった。しかし1930年代になるとライバルのGMは「ビュイック」「オールズモビル」「ポンティアック」、クライスラーは「デソート」「ダッジ」、その他独立系でも「ナッシュ」、「ハドソン」、「スチュードベーカー」など、中級車クラスが市場を占める割合が大きくなった。出遅れたフォードには追いつくために適当な買収先が見つからなかったのか、1938年新しく創設されたのが「マーキュリー」で、戦後の1949 年専用のボディが提供されるまではフォードと同じスタイルに一回り大きいエンジンを積んだものだった。しかし1950年代に入ると大型高級化が進み、大衆車フォードの兄貴分だったマーキュリーはいつの間にか高級車リンカーンの弟分と化した。1960年前後になると大きくなりすぎたことへの反省から各社から1930年代に近いサイズに小型化された、いわゆる「コンパクトカー」が発売され、フォードは1959年から「ファルコン」が投入され、翌1960年からマーキュリー」には「コメット」が誕生した。
ノーマルのムスタングは200hp/4400rpmだが、シェルビー・マスタングは同じ排気量から306hp/6000rpmを絞り出している。写真の車の外見は殆どノーマルと同じように見えるがボンネットサイドに「GT350」と入っており、中身は凄いことを割と控えめに主張しているが、この年はどこにも「コブラ」のネームは入っていない。
1960年誕生したてのマーキュリー版コンパクトカー「コメット」で、エンジンの6気筒 2364cc は、フルサイズのマーキュリー・モンテレー5110cc、モントクレア7043ccに較べれば、半分以下、1/3以下なのでアメリカとしてはずいぶん小さいと感じる排気量だ。ホイールベースの114インチは約3010ミリで、初代トヨペットクラウンの2530ミリに較べればかなり大きい。生まれたての「コメット」のグリルはフルサイズの凹型曲面モチーフから転用したものだ。場所は虎の門病院の前で、隣がアメリカ大使館なので最新のアメリカ車を見つけるには絶好の場所だった。
コブラの中古車 テキスト検索結果一覧( 1~8件 ) | ..
(1-4)<フォード版 ムスタングGT・シェルビー・コブラ>(1966-70)フォードからエンジンの提供を受けているシェルビーは1965年から「フォ-ド・ムスタング」のハイパフォーマンス版の開発を委託され1966 年「GT350」シリーズを完成させ、67年から「GT500」が加わった。当初は「289」キュービック・インチだったエンジンは67年「390」、68年には「428」が登場した。これらの一連のムスタング・シリーズは「シェルビー」の名は付いているが製造も販売もフォードが行っており、ムスタングに箔をつけるため「コブラ」の名前を利用したとも考えられ、スポーツマインドを持った「シェルビー・コブラ427」とは全く別のコンセプトの車だ。
アメリカ車の通例として毎年モデルチェンジが行われ、この年からフルサイズ・モデルとは全く関係ない独自のグリル・デザインが与えられた。場所は虎の門の交差点近くにあったフォード系ディーラー「ニューエンパイア・モータース」の前で、リンカーン、マーキュリー、フォードの看板が見えるが、ここでは最新モデルが見られるので土曜日の午後仕事が終わってからよく足を運んだ場所だ。(僕が現役だったころは週休2日制になる前で、土曜日は半日仕事をしていた。)
.
ACコブラ289のシャシーにピーター・ブロックがデザインした軽量ボディを載せたこの車は、1964年2月「デイトナ2000km」でデビューし大成功したので、以後「デイトナ・コブラ」と呼ばれる。1965年には「フェラーリGTO」を抑え、GTⅢ部門で「ワールド・マニュファクチャラース・チャンピオン」となっている実力の持ち主である。「デイトナ・コブラ」のエンジンにはフォードV8 289キュービック・インチ(4727cc)が使用されている。ピート・ブロックはキャロル・シェルビーがドライバーをやめて、次のビジネスに取り組んだ時からの強力なパートナーだが、僕個人にとってこの名前は1967年日本GPにエントリーしただけでレースを走らなかった幻の車「HINO SAMURAI」という日野コンテッサをベースにした物凄く格好良かったスポーツカーのデザイナーとしての印象が強く残っている。
アメリカのフォード社は1950年代初めには各国にフォードを名乗る独立した子会社を持っていた。「イギリス・フォード」、「ドイツ・フォード」「フランス・フォード」などでそれぞれが本社の影響を受けつつも、独自に開発したモデルを製造していた。(日本フォードは組み立て工場で独自のモデルはなかった)この車は今回確認するまではマーキュリー・コメットのカスタム・ボディだと勘違いしていた。しかし実は今は亡きフランス・フォード(1958年以降シムカとなる)の「ヴデット」をベースにしたヴァリエーションだった。
.
クーガーの嫁さんの車・アメ車夫婦・車好き女子・クーパーコブラ・アメリカンレーシングに関するカスタム事例
2022年からミツオカディーラーグループのアンバサダーに就任したプロゴルファーのエイミー・コガ選手に、2台目となるキャデラックXT5が納車されたのでインタビューさせていただきました。
映画や車を通して聴こえてくるHeart Warmな想いをShort storyで.
この車を造ったアイゼンハス・ホースレス・ヴィークル社という会社は1904年から1908年まで5年間しか存在しなかった殆ど知られないメーカーだが、1つだけ面白い仕掛けがあるので取り上げた。それは搭載されていた3気筒エンジンで、3気筒が珍しいのではなく、内2気筒が4ストローク(101.6×101.6)、残りの1気筒は2ストローク(177.8×101.6)という組み合わせになっている。4ストローク側の排気はそのまま2ストロークの吸気となり、燃焼効率の悪い排ガスは点火すれば再燃焼するので多少の馬力向上となる。また4ストロークの爆発のインターバルに2ストロークはもう1度爆発しエンジンの回転もよりスムースになる、しかも再燃焼は結果的には排ガスの浄化にも貢献する、とここまで考えていたかは判らないがとにかく面白い発想だ。
.
フォード・マスタングの豪華な姉妹車として知られるマーキュリー ..
ここまで来ると「AC」と「コブラ」の区分けがこんがらかってしまうが、「コブラ427」の発展型「AC428」も、ついでに紹介しておこう。1965年誕生したこの車はシェルビー・コブラと違って英国で生産される。中身は7リッターのコブラをベースにしたものだが、エンジン製造元のアメリカでは「コブラ427」の排気量が1966年から「428キュービックインチ」に変わっているのでそれが使われている。イタリアの「フルア」のデザインで、直線を生かしたすっきりしたボディには、荒々しさはなく上品で街中でも周辺りに気兼ねなく乗れそうだが、性能は「コブラ」と変わらず400馬力のエンジンは最高時速240キロ、SS1/4マイルを14秒で走りきるスーパーカーである。
よりシンプルなトリムを採用し、バンパー内に水平に配置されました (フルサイズのマーキュリー車に合わせて)。
.
(6)
「コンノート」という名前は日本では殆ど知る人がない。もし知っているとすれば1950年代の「F1」に興味のある人か、ミニチュアカーのコレクターくらいだろう。第2次大戦後1940年代の英国は緊縮財政を敷いていたから物資が欠乏し、車を売りたくても売る車がないような状態だった。コンノートはF1活動を始める前の1948年、「リー・フランシス」をベースにしたスポーツカー「L2」を6台作っている。F1(F2)には1952年から59年まで活動し最高位は1956年イタリアGPの3位止まりだが、小規模コンストラクターとしてマセラティーなどの大メーカーと互角?に戦ったから、イギリスでは人気が高かった。(ノンタイトルではGPで1度だけ優勝している)
マーキュリーは、全ての中古車が安心で高品質。全車1年から5 ..
2022年からキャデラックミツオカディーラーグループのアンバサダーを務めるプロゴルファーのエイミー・コガ選手に、3台目のキャデラックXT5が納車されたので取材させていただきました。
【送料無料】ホビー 模型車 車 レーシングカー コブラnorev 118 ac cobra 289
(写真09-2a) 1952 Connaught A4 (2004-06 フェスティバル・オブ・スピード/イギリス)
この車もエンジンはリー・フランシスの1.8リッターが使われている。「Aタイプ」は「F2」だが、ドライバーズ・チャンピオンシップの対象で、若き日のスターリング・モスもこの車をドライブしている。
マーキュリー マスタング マツダ マンタ カーズ 光岡自動車 三菱 ランチェスター リンカーン 菅田 ..
この車のプロトタイプは1953年のミッレミリアに登場した「アルファロメオ・アバルト-コンレロ2000」で、翌年フィアットV8」のシャシーの載せて「スーパーソニック」として市販された。デザインはサヴォヌッティで「カロセリア・ギア」が作った。写真の車は、このボディをもとに作られ勿論中身は427コブラのスペシャル・チューニングエンジンが載っており、当時「J.Wオートモティーブ・チーム」の花形ドライバー-「ウイルメント」のために造られたワンオフの車だ。
1990年 コンテンポラリー コブラ427 好調 極上車, 売約済, 北関東
4気筒1500cc クラスのスポーツカーは2台造られ、この車もスターリング・モスがドライブしている。小メーカーの造った車にしてはどこにも破たんのないよくまとまったスタイルだ。
マーキュリーが放ったマスタングの姉妹車クーガー【オートレイド】
本間 薫(フリーランス)
1968年 東京生まれ
3歳の頃に父親が購入した1971年モデルのマーキュリー・クーガーの影響を受け、アメリカの音楽や映画、TVドラマに夢中になる。1991年よりタイヤメーカー勤務、レース用タイヤの開発に携わる。1997年にフリーランスへ転身、自動車専門誌の他、釣り専門誌やライフスタイル誌などに寄稿。形見となった父親のクーガーを現在も所有し、自らの手で3年半を掛けてオーバーホール、日常の足として使用している
クーペ乗ってたな!懐かしい。 次は綺麗なS30、そしてコブラ コブラ いつかは、乗ってみたい!笑その他、気に入った車達!.
(写真09-6ab) 1955 Connaught B F1 The Siracusa (2007-06 英国国立自動車博物館)
わたしの好きな映画の車コブラ(1986) マーキュリー・クーペ(1950年型 ホッドロッド)
ショールームで対面を果たしたクーガーは、グリーシャン・ゴールドのボディカラーにブラックのバイナルトップというコンビネーションもあって、とてもスリークでシックに見え、発売当時はマスタングよりもさらにオーナーの女性比率が高かったというのも頷ける。恐らくはリペイントされトップも張り替えられているのだろう、ザ・キャットの愛称に相応しく艶やかだ。
この個体はレストアこそされていないもののメンテナンスは充分に受けていたようで、302cidユニットは綺麗にアイドリングを続け、エンジンベイを覗けばラジエターキャップやホースにクランプ、エアコンディショナーのコンプレッサーやスターター・ソレノイドは換えられ、インテークマニフォールドやウォータネックがペイントされてフードのインシュレーターも残されているので、前オーナーは並々ならぬ愛情を注いでいたに違いない。
バキューム作動のヘッドライト・ドアも問題なく開閉すれば、リアのシーケンシャル・テールランプはICコントロールのLEDに換えられ、ホイールもオリジナル・テイストの15inアロイとされているので、普通に走らせていたのではないだろうか。
このくらいのコンディションのマスタングは、もうこんな値段では手に入らないのでお買い得といって差し支えないはず。このままのコンディションをキープして週末に楽しむのもよし、イグニッション系を強化してデイリードライバーにするもよし、外装品に大きな問題がないのでコンクール・コンディションだって目指せるだろう。新しくオーナーとなる方にはどうか、このレアなネコとの暮らしを末長く幸せに楽しんで欲しい。